第八回 電信柱

 新しく成人された皆さん、おめでとう御座います。
 赤ちゃんが生まれて20年間、ご両親やおじちゃん、おばあちゃん、ご家族の愛情で成人式をめでたく迎えられた事は、何事にも変えられない事だと思います。

 私の成人式はどうだったか…。戦後10年、まだ戦争の痛手があちこちに残る時期でもあり、市長さんや各代表の祝辞聞いた事ぐらいで、余り覚えていません。成人が壇上で暴れるなんて…。とてもそんな雰囲気もなく、早く終わらないかなー、と言うおとなしい成人式でした。今の物とは違い、表紙には成人式の刻印のある、ボール紙製か何かの重いアルバムを頂きました。
 その頃の町の景色や生活を、最近、小津安二郎監督の映画から見付け出しました。
町の道路の両側に電柱が立ち、片方は現在の関西電力の配電用、反対側には電電公社の電信柱(本当は電話用の柱)が10コも20コも、カンザシのように絶縁碍子(ガイシ)を付けて立っていました。
 私も、あの電柱が一塁、こっちの電柱が三塁と、三角ベース野球を毎日、日が暮れるまで、飽きもせずしていた時代もありました。


明治30年頃の電話線 
1加入毎に電線を引いたので空は電線で埋まる
(NTT電話100年小史より)

 現在の町の道路には、電力会社のコンクリート柱が立っています。電力配線を下に埋める事で町の美観を考慮した所は別として、人の住む所に電柱の無い所は有りません。どうかすると、人の住まない山の中にも電柱が立っています。

 電話の始まるのは明治23年(1890)ですからそれ以前は電信による情報伝達が盛んで、その頃に使われた配線用の柱から電信柱と呼ばれたものと思います。
 電信といえば、モールス符号の発明者(1832)のモールスが、実は画家であったと言うのも驚きです。昔は多才な人が多かったように思います。その後、有線の電信による通信が発達し、それにより町中に回線が引かれた電柱が、その後電話に変わる時代も「電話柱」とは呼ばないで、「電信柱」というこの呼び名が残っているのでしょう。
 現在の柱の上には何十、何百という回線を束にしたケーブルが張られており、昔のような腕木を多く付けた配線は見られません。

 最近、ドコモのパンフレットにはポケットベルと言う言葉がなくなりましが、クイックキャストへと名称が変わりました。PHSやシティオ、自動車電話も携帯電話、MOVAやFOMAと言う新しい言葉が取って代わりました。
 電信柱も電力会社の柱に共架(電気と電話を同じ柱で使う)されると、もう通信の元祖、電信柱という、情報だけ配線する柱は将来無くなるのでしょう。何か寂しい思いがします。

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