
〔田舎住い41、都会もいいなー〕
都会の様に映画や劇場、その他色々な催し物は何一つない田舎で、“何が楽しいか”と問われると答えに困ります。取り立てて行事が有り人達が喜ぶような物事は毎日の様に有る都会と違い本当に有りません。それこそ些細な事でも生活の中で自分に楽しい事を見付け出さないと人様から認めて貰える物はない様に思います。
先ず何の施設も無い村での楽しみは家庭で色々な花や植木を植えて、咲いてくれるのが楽しみの1つです。
ここに引越してきて何も無い庭に小さな柿の木を購入し植えました。
4・5年経ち手も届かない程に大きくなりましたが或る夏に、鋸で引いたような木の粉が幹から一杯出てきて薬撒きましたが枯れてしまいました。虫が木の栄養分吸い取り枯らしたようです。それに懲りず柿の木はそんなに高価でも無いので又購入して植えました。
今ではもう大きくなりすぎて柿が出来ても取れない程に成りました。取れない柿は熟すと鳥が寄って来てつつきます。ミカンと違い今時そんなに柿が食べられる物でもなく、今の所は殆ど次々と飛んでくる小鳥達にに喜んで貰っています庭でお茶やジュースを飲みながら、自然の小鳥が見れ、鳴き声が聞け、木や花の生育がささやかですが楽しみです。
お天気も良く寒い冬が終わる頃にはお休みが続くと、多くの車が田舎の道を走り去ります。向う里には若い人が好むような施設も無いだろうにと思いますが、この田舎に自然を求めて来られるようです。
最近都会の生活が便利になれば成るほど、そこに住む人には公害が自分の生活空間に押し寄せきました。その事から長生きするには都会で無く田舎に住み、車が走る道から離れて居ることが一つの方法だと言われています。
そんな事からか普段閑さんとした田舎の電車の駅にも、お休みと天候具合で色々な仲間の人たちがリユックを背負い自然歩道の地図を持ち山や川、そして花盛りのお寺へと向われます。
何か皆さん都会で歩かれているのと異なり遠くを見る目に、春の若葉の緑や秋の紅葉が仲間との大きな声での会話も笑い声にも回りの自然に溶け込みます。
そんな時の顔付きが違います。思い思いの服装ですがリユックの膨らみ具合や服装、足元を見れば良く使われているベテランの靴から今日降ろし立ての新品まで色々な仲間でしょうか、電車賃だけで健康な楽しい1日が始まります。
家の中に有る物は何日過ぎても季節が変わるとも埃を被り、古くはなるでしょうが新しく変化も有りません。その点自然の物は時間の経過と季節の移り変わりに思いも掛けない新鮮な色と共に自然と変化して行きます。
お茶とお弁当そして好きなお菓子でもリュツクに入れて、今流行りのフイルム枚数を気にしなくて住むデジタルカメラを持ち田舎めぐりは如何でしょうか。仕事や雑務を忘れて気の合う方との自然にそんなにご馳走は要りません。お腹が空いて美しい川の水で手を洗い目を遮る事も無い緑の空間は同じコンビニで購入したお握りが美味しいのかと見直します。
この辺の田舎に住んで居ると“貴方はどうするのですか、ハイキングに良く行きますか”と私に問われると、ここの地に住めば行きたく思うのは都会の大きな百貨店やショッピング街やレストランが思い浮かびます。