
〔携帯電話の功罪〕
家庭に電話が無い時代は何か悪い事を予想した『電報です』と言う時代から、祝辞と共に花束やオルゴール付きのお祝い電報が主になりました。電話のない時代は『チョツト電話掛けに行って来る』とか『今、お隣へ呼びに行つてますから』と言うような会話が普通にあった日々は何が何でも一報は電報が使われました。今は小学生からお年寄りまで国民の半分以上が携帯電話持つ時代に進んでいますから、電報の役目は第1報の役目からセレモニー的な情報通知の形に変わりました。
電報に代わり日常的に連絡内容を常に即時に携帯電話でメールで通知するのがが当たり前の時代ですが、その事で常に携帯電話が自分の生活から切り離せない様です。
友達からメールしたのにとか電話しても応答ないとかで、何していたのかと問い詰められたりして、電池が切れていたとか、スイッチが入っていなかった等の言い訳しますが、必ず連絡が付くと言う社会的に認められたシステムだけに、その事が色々な問題を起こします。
又、余りにも常に手元に有りしかもその時間を簡単に共有出来て、しかも仲間と同じく心が繋がる魅力に負ける事で問題になる事が有ります。
例えば先日も新聞の記事に電車を運転しながらのメール操作していた運転手さんや、国会で審議中の議員さんがメール操作しているのが見付かり叱かられています。自動車を運転中に電話やメール見る事は交通安全の面で悪いと交通違反の運転手とし指導されますが、病院や劇場・映画館等では残念な事に、まだまだ携帯電話に関するマナーでは心無い人が居られる様です。
最近電車の中で高校生ぐらいに成ると殆どの生徒さんは携帯電話を手にして話に興じています。変な話ですが子供の持ち物は、親や兄貴や姉さんのお古と言うのが私達の子供時代の慣わしでした。でも皆さんが持っている機種を見るとまだまだ高価な、発売されて間もない携帯を見せ合いして、その機種の特徴を自慢しています。携帯電話には電池寿命の関係も有り取替えサイクルが短い為に、余りお古は無いようです。反対に親が子供が取り替えた機種を使う場面に出くわします。
皆さんの手元に電話がある事で災害が起きた時には携帯電話の加入数から見て到底捌けない発信があリます。この様な時ドコモでは通信規制をして必要な情報の確保を図られます。どうしても一度掛けて繋がらないと次々と続けての発信されて加速的に回線の状況の悪くなります。この様な時にメールだけは確実に到達したと言うニュースが有りました。メールの発信は1人の回線使用時間が短い事から、この様な時にも処理出来るのでしょう。災害の無い事を願うと共にメールと言う情報伝達の活用も、場合により大変効果のある伝達手段と言う事が判ります。
私の孫達も次々と携帯電話を親にねだり、授業で教わらないのにメールの操作は社会人並です。先生も大変です。授業よりメールに気が行つて勉強がおろそかな生徒も居るでしょうし、“持参するな“とか”電源切れ“とか対策されます。
平成の始め頃、先生もカバンの奥に隠していたポケツトベル全盛時に学生時代を過ごされた先生も多い事ですから理解も有ったりして。これからどのように世の中に変化、進化、退化はしないでしょうが・・・進んで行くか何かに付けて心配な世の中です。