村爺のちょっといいはなし

〔マイカーの無い時代〕

大きな町の通りを牛や馬が4輪の荷物台車を引いていきます。
オジサンが横を歩いたり荷が軽い時は西部劇の駅馬車では有りませんが、台車の前に座り牛や馬のお尻に叩くでもなく早く歩いてちょうだいという風な信号を送りながらムチを入れていました。
今思うとタイヤの付いた後輪とそうでなく鉄の輪が嵌めてある木製の車輪のとが町を行き交います。 アスファルトの道路が多く有る訳でもなく砂利道か敷石の道をタイヤの車輪はそこそこ静かですが鉄の輪を巻いた車輪はガチャガチャと大きな音を立てながら町を行き交います。

近代使われ出したのがリヤカーで軍隊で使われたものが一般に使われ小型で便利と言う事で自転車やオートバイのリヤー(後ろ)にカーを付けて使われています。その頃は人が引いて行く物でありました。そして古い歴史の有る大八車が有りました。昔は牛や馬にくくり付けて使用したのでしょうが殆ど前で引く人と後ろで押す人の連携で大きな物を運ぶのに使われました。
8人分の仕事をするというので代8車から来たそうですが、積載量は軽い物なら今の軽自動車以上(大八車には積載量の法律が無い?)の物を積んで行きます。荷物を積む時は前と後ろの荷物のバランスが大事で、登り坂は重い車体も加わり大変でした。
又下り坂は前を上げて後ろに取り付けてある丸太を擦りながらのブレーキ操作は、余程体力が無いと雑誌のマンガに有るように自分の引いている大八車に轢かれそうです。

牛車や馬車が活躍していると、今では田舎でも見掛けませんが相手が動物ですから美しい町とか人が出入りする立派お店の前でもお構い無しに、体調加減で出来立ての蒸しパンのように湯気を立てて落として行きます。歩きながらですから数 m 毎に丸い大きな輪から順次小さなわに重なりそれが1列に並んで残して行きます。その頃は当然のように止まつて拾い上げる事も牛車は去つて行きました。

時代が変り今は田舎の道でもワンちゃんの散歩に、ビニール袋と摘み上げる挟みを持参しながら散歩させて居られますが愛犬家も大変です。
話は変りますが猫はその点、モノが少ないので問題にならないのでしょうか、犬のように繋がれる事も無く今だに自由に生活しています。でもオシツコなんかは犬以上に臭うので困ります。お国が変ると燃料に拾われて牛馬の糞で煮炊きされます。そのお料理も味は変わらないものの、私達の生活には馴染まないようです。(お豆さんをコトコトとろ火で長時間煮るのには良いのかも・・・)

戦後、自分の家にマイカ−の無い時代ですから日本橋で買い物をすれば市電はその荷物を運ぶのにも大変便利でした。以前から電車区間を埋めるようにバス区間も有りましたがバスだけは客室が狭い事も有り荷物は気を使いました。
今から思うとバスも市電も車掌さんが居られて大きな荷物は気を使います。
その頃は宅急便はまだ有りませんから電車バス乗り継ぎ駅の階段も、家までの田んぼ道もラジオやテレビ担いで帰りました。その頃はどれも重いトランス付きが殆どですから担いで帰るのは今思うと元気だったなーと思います。そうして持ち帰るのが普通と思っていましたし、自転車で迎えに来て貰うとかリヤカーに乗せるとかが物を運ぶ手段でした。

一度兄の荷物を受け取りにリヤカー引いて行き大阪駅の荷物受渡し所で受け取り寝屋川市まで往復歩いて運びました。チョツト買い物に行くにも散髪に行くにもマイカーが当たり前の時代ですが、昭和20年代は歩いて物を運ぶのが普通の生活の時代でした。
そんな時代を経験したのに、今では買い物に行くと30分もお店回りするともう足が痛くなり、もっと見に回りたい気持ちと体が付いて行きません。
50代から歩幅で測量した伊納中敬は70歳頃まで日本国中を、歩いて地図を作った事を聞くに付け、車社会にお世話に成りすぎた我が身の弱体ぶりが情けなく思います。

 

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