
その頃は戦争が始まり、ラジオからは男性アナウンサーの声で、大本営発表の戦況を伝える事がほとんどでした。この当時、ラジオを聞いて楽しんだ覚えはほとんどありません。放送局もNHKの放送2つだけで、民間放送は戦後の昭和26,7年頃ですから、今の放送局の数とは比較になりませんでした。
まだテレビもありませんから、今から考えると何をしていたのでしょうか、昭和20年前後の時代は、今は夢にも出てきません。食べる物が無いため、いつも空腹ですから、夜の時間をつぶすのは、寝るしかなかった様です。
ラジオの民間放送が始まる頃には、子供の教育に悪いコマーシャルが流される、特に性に関する商品のコマーシャルはいかんとか、そのような物は子供の寝る時間以後に放送するとか論議された様に思います。今の時代は、あの頃論議された事を考える時、どちらが異常なのでしょうか。長生きすると余分な心配が増えてきます。その頃の世情通りに考えると、現在の内容では、子供の目も耳も、1日中防いでおかなければいけないでしょう。
ラジオは高価なものでしたから、一家に一台あるかないかでした。あれば良いほうで、今の様に何台も自分のラジオが持てる時代でなく、中学、高校生時代に、見よう見まねで部品を買い、ラジオを作るのが趣味となりました。
今パソコンの組み立てをされる方がおられますが、今の様に完成されたパーツのブロックを組立てるのではなく、シャーシにネジで真空管のソケツトを取り付け、抵抗、コンデンサ、コイル、トランスと、小さな部品から買い集めて、ハンダごてをにぎり占めて組み立てました。ですから、遥かに時間も手間も掛りました。一度始めるとご飯を食べる時間も惜しくなり、寝る事も忘れての徹夜での製作でした。
阿倍野行きの市電に、守口や天満橋から乗り、途中にある日本橋の電気街に、部品の買い物へと行きました。あの頃にあったお店が、今はもの凄く大きな電気屋さんになっているところもあれば、今もその当時と同じようなところもあります。でも電子回路の部品では儲からないのか、販売品は電化製品の完成品が殆どです。部品屋さんは本当に少なくなりました。
今では、ラジオも100円ショツプで売られ、千円も出せば、お風呂場でも聞ける、防水の物が手に入ります。昭和30年代には安くなったといっても、その頃の給料が1万円も無い時代です。数十万円した白黒テレビは、今では1万円以下でカラーテレビが売られているようになりました。
ですから、作るより完成品の方が安いし、故障しても修理代が高くつくので、新しく買うことが殆どになりました。
以前テレビで、外国の人が粗大ゴミの中から拾い集めた電化製品類で暮らしておられるのが放送されていました。世間の人の目がなければ、物がない時代に育った私達の年代は、「もったいない」という言葉がすぐに頭に出てきますから、同じ事をしそうです。
子供達が故障したから捨ててと、私の家に持ち込んだ物を、修理した電化製品が2,3台あります。故障すると修理して、使いもしないのに溜め込む「もったいない病」は私だけでしょうか。